日本列島におけるモモの伝来をめぐる諸問題-伝来時期、古植物学、遺存状態の検討-

2024年10月21日

研究?産学連携

 同志社大学文学部教授 水ノ江和同、学習院女子大学国際文化交流学部教授 工藤雄一郎、千葉大学大学院園芸学研究院教授 百原新、山形大学高感度加速器質量分析センター教授 門叶冬樹は、日本列島におけるモモの伝来をめぐる諸問題について共同研究を行いました。
 モモは中国原産の外来植物です。日本列島への伝来後は、日本文化に深く根づいた植物であることから、その伝来時期や要因を探ることは、考古学?歴史学?植物文化史学的に極めて重要です。
 これまで日本列島でのモモの出現は、発掘調査資料から縄文時代と考えられていました。しかし、日本では年間約8,000件の発掘調査を実施しながらも類例がほとんど増えないことから、その年代に研究チームは疑念を覚えました。そこで、縄文時代および弥生時代早期から前期のモモ核(種子を含む堅い部分)とされる既存資料(長崎県伊木力遺跡:縄文時代前期、滋賀県入江内湖遺跡:縄文時代早期?前期、佐賀県菜畑遺跡:弥生時代早期?前期)の放射性炭素年代測定を実施したところ、いずれも弥生時代中期以降の年代が得られました。このことから、以下の4点が問題提起されました。

①縄文時代にモモが伝来した可能性はかなり低くなった。
②モモは、弥生時代開始期の稲作文化と共に朝鮮半島から伝来したのではなく、青銅器の国産化、首長墓の出現、渡来人の定着が考古学的に確認できる弥生時代前期末から中期初頭であった可能性が高まった。従来、稲作伝来を大きな文化的画期としてきたが、弥生時代前期末から中期初頭の画期を今後は大いに再評価すべきである。
③モモ核は、年代とともに大型化する説もあったが、今回の年代測定により、この説に疑義が生じることとなった。
④低湿地遺跡などでは、モモ核などの軽くて丸い遺物は、発掘調査時点では認識できないほどのかなりの移動があり注意を要する。